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BeefSteak2nd

Author:BeefSteak2nd
十数年間システムエンジニア一筋のサラリーマンだった。環境についての何の専門知識も習得していないが、海面上昇を止めるために会社を辞め、地球温暖化防止を当面の我が人生のテーマと決めた。いずれは食糧問題にも関わっていきたい。
ドイツで一年間遊学後、日本国内の対策を民間の立場から取り組んでいる。
りゆーす・りさいくる・量り売り 前田商店に勤務。

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誰にでもできる地球温暖化防止対策
地球温暖化への対策は誰にでもできる。一人一人の行動が世界を変えていく。持続可能な社会を実現するための提案、私自身が民間人としていかにして貢献していくか、 ドイツのことなどを書いていきたいと思います。
ペットボトルのリユース
今日テレビのニュースで環境省がペットボトルのリユースを検討しているというのを見た。
ドイツでも一部のメーカーの製品がデポジットをつけて販売されているが、小売店が機械で回収した後、各メーカーが自社のボトルを引き取っていた。これはペットボトルに匂いが残ってしまうためということで、他の飲料の匂いが移ったものを、自社の商品に使えないのだろう。私も何度か洗浄方法を実験したが、市販の洗剤でいろいろな洗い方を試しても結局落ちなかった。日本では水のペットボトルのリユースが実証済みだが、水は無臭なので問題になりにくいのだろう。日本で実現するとすれば、やはりメーカーごとに回収するか、飲料の種類が絞られることになるのかもしれない。
日本のメーカーは衛生面を気にしている。海外では食器を洗剤で洗って、すすぎをしない地域が結構ある。清潔さに対する潔癖さは日本は世界一だ。一度騒がれると、商売を続けていくのが難しくなる。ヨーロッパに比べ湿度の高い日本では、特に気にする必要もあるのかもしれない。
ヨーロッパは国が隣接しているため、国外の製品もたくさんある。輸入に関しての制限がかけられないのか、デポジットでないワンウェイペットボトルも数多く存在する。リユースにはコストもかかる。そのため、回収率は頭打ちとなっている。

リユース瓶は重いので、輸送にコストだけでなく、化石燃料消費とCO2が増加するので、環境の面から言っても長距離輸送には不向きだ。

日本もここはひとつ、助成金を出してリユースを義務化してはどうかと思う。未来の地球環境を考えると、コストを気にしている時ではない。温暖化の被害を受けている地域があるのだから、ODAを削ってでもやるべきではないか。

その次のステップは、やはり量り売り。回収率とか難しいことを考える必要はない。消費者自身がボトルを管理するかわり、ペットボトルのリユースにコストを支払う必要はない(量り売りの人件費等は増えるかもしれないが)。、容器の移動は自宅から小売店なので最短距離で済む。いまの焼酎の量り売りがそれである。小売店は大変かもしれないが、容器を忘れた人のために貸出をするというのもひとつの方法だ。小売店が洗浄するのであれば、小売店に助成金を出したい。(私も小売店の立場で申し訳ないです)
衛生面が問題と言うが、家庭では大きなペットボトルから自宅のガラスコップに入れて飲むことが多いのだから、あまり気にする必要はない。ほとんどの人が冷蔵庫を持っているのだから、牛乳と同じように、要冷蔵とし、保存時間を制限してしまえばいいのだ。
消費者が清潔に保てる瓶を選択し、賢くなっていきたい。
いっそのこと、マイボトル、マイ容器、量り売りを義務化してみては?というのは飛躍しすぎか・・・

そして忘れていけないのが、地産地消。どんなにリユースしたって、洗浄場所が遠くにあると輸送で環境負荷がかえって高くなる。近くで生産されたものなら、遠くに運ばれる可能性は少ない。これも消費者が賢くならなくてはいけない。
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温暖化対策の持続性
問題解決は根本的にやらなければならないと思っている。
様々な問題は、問題が起きている末端で処理するのではなく、上流にさかのぼって根本から正さなければ、対処療法でしかなく、解決には至らない。

京都議定書は、持続可能な環境にしていくための温室効果ガス削減が本来の目的だ。たくさん排出しているところをいかにして抑えるのかが最も効果的な手法だと思う。ところがたくさん排出していない国で様々な取り組みが行われている。

日本が目標を達成するための排出量取引のうち、クリーン開発メカニズム(CDM)は一時的な対応として必要だと思う。日本の技術を使い、開発途上国(この表現は好きではないが)の手っ取り早く抑えられるところを抑えようというのだ。

共同実施(JI)についてはどうか。お金のかかる事業は、お金がないとできないのだから、これも一時的な対応として必要だと思う。

排出枠購入についてはどうか。これはおかしいと思う。CO2をたくさん排出する事業で儲けたお金で、排出枠を購入するとなれば、CO2を減らしたとは言えまい。あくまで温室効果ガスの削減が目的なのだから、これでは単なるマネーゲームだ。ただし、温室効果ガスの排出を抑えないとお金が損だよ、という意味では効果はあるのだろう。


一時的な対策があっても、同時に恒久的な対策がないと、いずれ行き詰る。原発に頼るにしても核廃棄物の処理にいずれ限界が来る。バイオなどの代替エネルギーの極端な導入は、きっと生物多様性に影響を与える。

化石燃料や原発ではなく、クリーンエネルギーだけで賄えるよう、省エネをするということ。クリーンエネルギーと省エネで、それぞれの国がどうやってエネルギー自給していけるか。根本的な解決には、そのプランと制度化を主軸にしていかなければならないと思う。

環境税、炭素税に累進課税ではないという問題もあるが、すでに消費税もあることだし、この際そういうことよりも将来の地球のことを優先したい。
環境税、炭素税を一刻も早く導入、その財源でクリーンエネルギーの開発、普及をする。そして税率を年々上げていって、省エネしない人とクリーンエネルギーを使わない人はたくさん税金を払わなければいけないようにしていけば、持続的な対策ができるのではないだろうか。なぜこうならないのだろうか。

クリーンエネルギーだけでは、今の便利な生活レベルを維持することは無理だということは承知の上で、そこに挑戦していかなければ、持続可能な社会の将来像はいつまでたっても見えてこないと思う。
不都合な真実
遅れ馳せながら、不都合な真実を観てきました。
(実は途中眠ってしまったのですが)内容、ビジュアル、トークなど、どれをとってもすばらしいプレゼンだと思いました。
「人々の理解を邪魔しているものを排除するよう努力している」
プレゼンのプロです。あそこまで専念している方であれば、自分の言葉よりも、この映画を観てもらったほうが圧倒的に理解しやすいと思いました。
どちらかというと、アメリカ国民に対しての訴えが多かったのではないかと思います。私ができることは、今の日本、自分の住む地域に置き換えて、取り組みを考え、実践していくことだと思いました。その話をする前に、この映画を観てもらえたら、より現実的な取り組みに発展していけるのではないかと思いました。伝えるツールとして、DVD買おうと思います。

Think globally, act locally.
Think the future, act now.
相乗り
公共交通機関や自転車道の発達は、自動車による燃料消費を抑える。ドイツ、北欧での事例を見ると、行政が積極関与しないと、実現は難しい。BDFやソーラーカーが一般化するのも、まだ先の話。これを手をこまねいて待っているのもどうか。

行政への働きかけで改革されることを望むが、これもなかなか遠い道のりに思える。明日からでも取り組めることはないか。

自動車通勤をしている方は、同じ会社、もしくは近くの会社に勤めている人を、自宅の近所から探し、相乗りを申し入れてはどうか。保険、燃料費などは折半、日替わり交代で運転する。会社もこれを推奨すれば、交通費の支給が半減、駐車場代も半分で済む。5人乗りに定員一杯だと1/5になる。相乗り通勤の人には、少し手当てを上乗せしたら、みんながハッピーではないか。

大都市では電車通勤が大部分だが、公共交通機関が未発達の中規模の都市において、最も効果があると思う。CO2削減の対策に悩む行政でも、相乗り通勤の人の税金控除などの優遇措置を検討してほしい。

また、長距離トラックの運送会社。あらかじめ行き先を掲示して、同乗者を募集してはどうか。お金をもらってはバスやタクシーのようになってしまうので、運転できるヒッチハイカーを募集する。交代で運転し、従業員の疲労を軽減する。もちろん自己責任でヒッチハイカーは保険に入る。


思いつきをただ書いただけなので、問題もたくさんあると思うが、温暖化対策はみんなが得をするシステムにしないと、なかなか普及しないと思う。

頭をやわらかくして知恵を出せば、いくらでも沸いてくる気がする。まずはできるところから。
パンと糧
brot.jpg

何気に撮ったら結構いい写真になってしまった。60KBと小さいのでちゃんとクリックしてみてください。
すがすがしい朝食をイメージされたと思いますが、この日起きたのは昼すぎです。グダグダです。そんな昼でもコーヒーとこのパンを薄く切って食べるのです。


一人暮らしをするようになって、ベーカリーのパンを食べている。味もいいし、せっかくドイツでの生活なのだからという理由からだ。スーパーよりもベーカリーのほうが値段は高いが、お得感がある。といっても日本より安い。種類も豊富で栄養価も高いことだろう。おいしいパンなら下手に何かを添えるよりも、バターだけで食べたほうが風味を味わえる。ドイツのパン。日本に帰ったら食えなくなるのか。もし、ドイツにこのパンがなかったらかなりつらかっただろう。

よく外国語の文章が日本語に翻訳されるときに「パン」が「糧」になったりする。目の前にある「このパン」と言われると想像しやすいが、「糧」と言われると現実感が薄れる。
「いただきます」や「ごちそうさま」を外国語に訳そうとすると、どうしても感謝の言葉になる。ドイツ語やフランス語で言う「いい食欲を!」は、「召し上がれ」に近い。
では何に対しての感謝か?と聞かれると、調理した人や材料代を稼いだ人への感謝だと言う。「召し上がれ」という言葉がある以上、家の中に閉じられた言葉だと思う。食べ物に対しての感謝ではない。外国にいなければ、こんなこと考えもしなかっただろうが。

ドイツで最初に行った農家では、「この食事」「このパン」という表現で感謝の言葉を述べてからみんなで食べはじめる習慣だった。言葉の対象が明確である。
私は自分の文章について思うのだが、きちんと漏れなく誤解なく説明しようと思うあまり、文章が長くなりすぎて相手に伝わらない気がする。会社の仕事では漏れがあると自分の過失になるし、やりとりの回数を減らすためにもとにかく書いていた。
伝わるかどうかは二の次だ。書いてしまえば、伝わらなくても読まなかったほうの過失になる。そんなことをしていたから、変なクセがついてしまったのだろう。

たしかに糧と書けば問題ないのだが、ドイツにはパンだけでなくじゃがいももパスタもある。でもパンでいいのだ。だから日本語に翻訳するとき「パン」は「米」と訳したほうがよい場合があると思う。
(ほら、また。「訳したほうがよい場合がある」と書いてしまう。「訳すべきだ」と書けない。)

ドイツ語を勉強していて何かで見たゲーテの言葉に「外国語をやったことがない人は、自分の言語について何も知らない」というのがあった。たしかに外国語を学ぶと日本語に対しての疑問が出てきたりして、母国語への理解が深まると思う。でも「何も知らない」ということはないので、言い過ぎでは?と思うのだが、こう言ったほうが伝わる。私が書くなら「知らない場合が多い」くらいになるのだろう。心に突き刺さるものは何もない。

言葉にした時点で、所詮すべてを漏れなく伝えるのは無理なのだから、現実感のある言葉にして、印象深く伝える術を身につけたい。あいまいになってしまう日本語の弱点を言葉数で補うのではなく、具体的な表現で表す。
問題をあやふやにしたり、批判だけするのではなく、具体的にコレをこうしよう、と言えるようになりたい。細かいことを言うのではなく、短い言葉から、自ら気づいてもらったほうが目的は果たせる。人が耳を傾けてくれるような人格でもあらねばならない。

えーと、何を書こうと思っていたんだっけ。
あ、そうそう。いただきますとごちそうさま。
感謝の範囲が狭いのではないかということ。
有機農家で働いて、農薬を使わない野菜というものがどんなに手間のかかるものか見に染みてわかった。消費者にはその食べ物がどのように作られて、どこから来るのか見えない。食肉にしてもそうだ。実際には毎日豚を殺して捌いてくれている人がいるから食えるのだ。
だから、いただきますやごちそうさまは、いま目の前にあるその命、それを育ててくれた人、運んでくれた人にも感謝するべきなのだ。

有機野菜が高いといっても、あれだけ手をかけてこの値段かと思う。でも消費者の立場に戻ると、正直言っていつも有機野菜を買えるほど収入があるわけでもない。というか、ここ1年ばかり無収入だ。
農薬を使って大量に野菜を栽培することによって、将来野菜が採れなくなる、だから持続できる生き方をしよう、といっても、自分も収入を得るまで生き延びなければならないし、現実に今、腹を満たしたい。
貧困で苦しんでいる人たちが、高い無農薬野菜を買えるわけがない。現実はそうなのだ。でも有機農業には大賛成だ。

これは環境問題ではなく、経済格差の問題ではないか。
環境をよくしたい人、安全な作物を食べたい人はたくさんいるが、買うことができるのは一握りの人間。有機野菜を作る、買うことも大事だが、みんなが買える社会システムにもしていかなければならない。日本だけでなく、世界を。

まずは目の前にある食べ物について、どこから来たのか想像してみるといい。そのルートをたどっていくと、環境問題への対処が見えてくるのではないか。
今この食べ物に感謝し、しっかりいただいたら、そのエネルギーを少しでいいから貧困問題や環境問題に費やそう。現実感のある言葉は、現実的な行動へと発展していくと思う。言葉は環境対策をすすめるために重要なのだ。


あー、また長く書いてしまった。
よく撮れた写真を自慢して、私は今これに感謝していると言いたかっただけなのに。